2011/03/04

フレームワーク:弁証法



弁証法
人の考え(世界観)が発展していくときの普遍的なプロセスを、哲学者ヘーゲルは「弁証法」(dialectic)と名付けました。

それは次のようなプロセスです。

1. ある意見Aが出る (テーゼ
2. Aと対立する意見Bが出る (アンチテーゼ
3. AとBを統合する新たな意見Cが出る (ジンテーゼ

ちなみにこの3番目のステップに至ることを「アウフヘーベン(止揚)」と呼ぶそうです。


具体例
これだけだと意味がわからないので、具体例を出してみます。

たとえば、ある人がある国Aに旅行に行ったとき、現地の人々にやさしく接してもらったとします。するとその旅行者は
1. Aの人たちはやさしい
という認識を持ちます。

その人とは別に、別の旅行者が同じ国に行ってとてもひどい対応をされたとします。するとその別の人は
2. Aの人たちはやさしくない
という認識を持ちます。

この2つの意見が別個に存在していればただそれだけなのですが、これらの意見がもし出会ったとすると、「Aの人たちはやさしいし、やさしくない」というよくわからない結論が出てきてしまいます。そのよくわからない結論、矛盾点(?)をそのままにせず、それらをうまく統合して説明しようとしたとき、まれに、ひとつ高い次元の認識に至ることができます。

それはたとえば
3. Aの人たちには、やさしい人もいるし、そうでない人もいる
という意見です。「Aの人たち」をひとくくりにするのではなく、分解して理解する視点が生まれます。

さらには「そもそも、○○の人たちをひとくくりにしてよいのか?ひとくくりにしない方がいいんじゃないか?」、あるいは「○○の人たちという切り口以外に、やさしい人たちとそうでない人たちをきれいに分けるまた別の切り口があるんじゃないか?」といった新たな解釈・仮説にも発展していきます。

・・・このような意見の展開、心の動きのことをヘーゲルの「弁証法」(dialectic)と呼ぶそうです。


普遍的なフレームワークとしての弁証法
・・・以上の内容はあくまでも僕の解釈で、専門的な視点から見て合っているかはわかりません。ただもしこの解釈が正しいなら、「弁証法」というのは「人の考え(世界観)が発展するプロセスを説明するフレームワークだ」ということができそうです。

そして面白いのは、これがかなり普遍的だというところです。僕たちが世界観を広げるプロセスというのはいつも、偏った意見を一つ持って、それと対立した意見も知って、それらを併せることで新たな認識に到達する、という流れになっています。

このことを常に認識しておくと
まずは経験を通して、何か意見を出すことが必要(ステップ1)
出した意見と同じ論点において別の「対立意見」が必ずある(ステップ2)
2つの相矛盾する意見が出たときこそ新たな認識のステージに行けるチャンスだ(ステップ3)
と思って、日々、経験を積んでいくことができるようです。

この「弁証法は普遍的だ」という認識を持てたことがうれしくて勢いで書いたのですが、ちょっと、きれいに書けませんでした。。もう少し頭の中が整理できたら、再度まとめてみたいと思います。


おまけ
僕がこの弁証法の概念を知ったのは学生のときでした。そのときには「へー、そんな名前を付けた人がいるんだ」くらいにしか思わなかったのですが、仕事やいろんな人との話を通して、ふと「弁証法ってこういうことだったのか」という納得に至りました。その意味では、これは僕にとってのスティーブ・ジョブズが言うコネクティングドッツだったんだなぁと思いました。おもしろいです。

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