2010/06/05

働くことの意味は自分で作るもの


今日は「働くことの意味」について「そういえばこうなんじゃないかぁ」と思ったことがあるのでメモ。

ワタミの会長、渡邉美樹さんの公式サイトのブログに先日次のような投稿がありました

(「新社会人へ贈りたいエール」という話の中で)
私は働くというものは手段ではなく、生きることそのものだと考える。
働くことによって自己実現を図る。(中略)
仕事が手段だとなると、人はとたんに取引を始める。
仕事とは時間を売りカネを得る手段だと考えるのだ。
そうすると、なるべく少ない時間で多くの対価を得ようとする。
怠けられれば怠けたいと考える。楽してカネを求めようとする。
その結果がどうなるか。
手段で仕事をしようとすれば、最後は会社から捨てられる。
もう役に立たないと判断されれば、会社が捨てるのだ。
仕事を手段と考えてはいけない。会社と取引してはいけないのだ。
肝に銘じてほしい。
http://www.watanabemiki.net/journal/post-204.html



私にとって、働くことはただの手段ではない。
 そして、多くの働く人たちにもそう思って欲しい。

これは渡邉さんのイチ意見です。僕は個人的にこの意見に強く共感しますが、これとは違う考え方の人がいてもいいし、そこは人それぞれでいいかと思います。

でも、働く人一人ひとりが自分なりに「働くことの意味」を考えること自体は、とても大切なことだと思います。

人が働き始めるスタート地点において、「働くことの意味」は他でもない「生活のため」「カネを得る手段」だと思います。でも、それらはあくまでも働き始めの時期の意味でしかありません。ある程度の収入が得られ、生活がある程度安定したとき、「働くこと」には「カネ」以上の意味を含む余裕が生まれてきます。そのときに、「働くことは、あくまでもカネを得る手段でしかない」と定義(意味)をそのまま据え置きにしておくのもアリなのですが、意味を考え直して再定義する、というのも可能です。


この点において、僕は「誰もが一度は『働くことの意味』を再定義してみる方がいい」と思います。再定義しないでおくには、人は「働くこと」にたくさんの時間をかけ過ぎます。「カネのためだけの活動」に(平均的に)少なくとも1日8時間、週に40時間費やすのはあまりにも勿体ないことです。でも、「一般的な答え」はありません。あるのは渡邉さんのような先人の「解答例」だけ。最終的に考えて決めるのは、一人ひとりです(それを考えないという選択もひとつです)。


このあたりのことについて、僕が「こうなればいいなぁ」と思うことがひとつあります。
誰かが「自分なりに働くことの意味を再定義してみたいな」とちょっとでも思ったときに、(先人や周りの人たちの仕事観を知ることを通して)「どんなオプションがあるのかを認識する」ということが、より自然にできる土壌・環境がここ日本に作れればいいなぁと思います。
色んなオプションを比較検討した結果、最終的にやはり「働くことはカネのための手段だ」という答えに行き着いたら、それはそれでアリだと思います。でも、その検討もなく他のオプションを知らないまま働き続けるのは、本人にとっても周りの人たちにとっても社会にとってももったいないことになるので、僕自身そういう土壌作りのために何かできないかなぁ、と思っています。


働くことの意味は自分で作るもの、というお話。


おまけ
かつてここに書いたモチベーション3.0のお話(労働のモチベーションには3段階ある、というお話)も、「働く意味」のオプションを知るための参考情報のひとつです。村上龍氏の「13歳のハローワーク」なんかも、職種のバリエーションを提示することによって「働く意味」について考える機会を子どもたちに提供をしている例といえます。
13歳のハローワーク 公式サイト


蛇足ですが…
最近こう思うようになりました。人に平等に与えられた権利のうち、もっとも大きな権利のひとつが「意味を作る権利」(=「定義する権利」)だと思います。働くことにかぎらず、「人生とは?」「家族とは?」「愛とは?」「幸せとは?」などなど、答えがひとつに決まらないものに関しては、一人ひとりにその「意味を作る権利」が与えられています。
「権利」という言葉がおおげさであれば、「自由」と呼ぶのがいいかもしれません。いずれにせよ、働くことや人生や幸せや愛などについてどんな定義をするかがその人を創りその人の人生の道を作るかと思いますので、それらを絶えず意識できるようになりたいものです。


追記20100612
「意味を自分で作る」ということについて、わかりやすい形で書いている方がいました。「目標」と「目的」――客観的な指標としての「目標」と、それに意味付けを行った「目的」を対比させて、説明されています。わかりやすい!
目標に働かされるキャリア vs 目的に生きるキャリア

また、上記エントリに「夜と霧」のヴィクトール・フランクルの言葉が載っていたので「目的 意義 フランクル」で検索してみたら、、、Wikipediaに「人生の意義」という項目が引っかかりました。こんな項目あるんですね、Wikipedia。。
人生の意義 - Wikipedia

このページの中にゲーテの「ファウスト」について解説した部分がありそこが興味深かったので以下に引用します。

ファウストが、「ここにこそ人生の意味がある」と思え、「時よ止まれ!お前は美しい!」と叫ぶことができるようになったのはどのような時かというと、自分の欲望の満足させようという思いは捨て去り、万人のための自由な国を建設しよう、と人々のための「理想の国」実現に向けて戦いはじめた時であった。つまり、『ファウスト』における「人生の意味」「本当の幸福とは何か」「本物の満足とはどのようなことか」というテーマの答えは、自分の欲望の満足へのこだわりは突き抜けて、それを手放し、自己(小我)を超越し、利他の状態に状態に至ったときにはじめて手に入るものだ、ということである。

なお、ファウストの心の旅があらゆる学問への絶望から始まるように、人生の意味や真の幸福というのは、学問や思索よって得られるものではないのであり、「人生の意味は○○である」とか「真の幸福とは○○」であるということを書物や文章を読んで学んだところで、それで人生の意味や幸福が得られるわけではなく、実際に「自分の命を懸命に燃やす」ことによってのみ人生の意味や真の幸福はつかむことができる、と表現されているのである。

……実際にこの境地に至れるかどうかはさておき、
1)自分ひとりで得る満足よりも、他者を巻き込む満足の方が大きい
2)意味は自分で作るしかない
ということは確かなようです。

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