2010/01/30

宗教的なもの

今「竜馬がゆく」を読んでいます。「竜馬がゆく」を読んでいて、「宗教的なものを持つことの大切さ」ということを痛感します。

「宗教的なもの」と呼ぶのが適切かはわかりませんが、頭に浮かぶのは次のようなものです。

辛いときには支えとなり、広い視野と絶えざる人間性向上の動機を与えてくれるもの
感謝の念や思いやり、利他精神、足るを知る心、許す心、我慢強さを教えてくれるもの。また、空間的、時間的に広い世界観を与えてくれるもの。

それは物理的に存在する場合もあれば、誰かの頭の中にしか存在しないこともあります。人の頭の中にしか存在しない場合は「人生哲学」という言い方をしたがいいかもしれません。

少し例を出しますと、たとえば、「竜馬がゆく」の中の西郷隆盛であれば、「敬天愛人」、「至誠」、「私心を捨てる」。「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は、始末にこまるものなり。この始末にこまる人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬものなり」というその語録にもその精神が表れています。
坂本竜馬であれば、「世に生を得るは事を成すにあり」、「人の事跡(あと)を慕ひ人の真似をすることなかれ」などが僕がここで言いたい「宗教的なもの」になります。

「宗教的なもの」はそのまま既存の宗教でもいいし、憧れの人物や夢でもいい。そこに神的なものはあってもなくてもいい。とにかく、近視眼的な利己的精神に陥らず、大きく生きるためにはそういう「宗教的なもの」を持つことが必要なのかな。と思います。

自分のことだけを考えたこだわり、ではなく、周りの人や社会や世界を視野に入れた「宗教的なもの」、あるいは人生哲学。そういうものを持った生き方をしたい。

がんばろ。

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